母の日礼拝が行われました。
樋口 進 牧師のメッセージ 「感謝の心」はこちらをクリック
アリーナにて礼拝を行い、学年ごとに選ばれた代表者は母の日作文を朗読しました。
また、各教室で母の日プレゼント企画として食器用洗剤のチャーミー マジカを生徒一人につきそれぞれ一本ずつ渡されました。メッセージシールを書き、ラッピングバックに詰めて持ち帰っていただきました。生徒さんからご家族へ感謝の気持ちが伝われば、と思います。
昨日は「母の日」でした。
皆さんは、お母さんに何かプレゼントしましたか?
カーネーションを贈った人もいるかも知れません。
あるいは、物でなく、何かサービスした人もいるかも知れません。
例えば、肩たたきとか。
あるいは、感謝の気持ちを表わしたカードを送った人もいるかも知れません。
わたしの所にも、東京にいる娘から妻にきれいなエプロンとパジャマが送られてきました。
感謝のメッセージも添えられ、妻はとても喜んでいました。
「母の日」にお母さんの愛に感謝の気持ちを表わすことは、いい習慣だと思います。
ところで、この「母の日」はいつ始まったかご存じですか?
そして、「母の日」には、カーネーションが定番ですが、なぜカーネーションを贈るかご存じですか?
「母の日」がなぜ、5月の第二日曜日かご存じですか?
「母の日」は、今から108年前の1908年に、アメリカ・マサチューセッツ州のウェブスターという町のメソジスト教会で始まりました。
日曜学校の教師を26年間も勤めたクララ・ジャーヴィスという女性は、ある日「あなたの父母を敬え」という旧約聖書の「十戒」の教えについて語り、特に母の愛に心から感謝する方法があればよいと訴えました。
その後この女性は亡くなったのですが、この話を娘のアンナという人は、ずっと心に留めていました。
そしてアンナは、母親の追悼会の時に、1箱のカーネーションを持って来て、会場に飾りました。
これが、彼女の母の愛に感謝する方法だったのです。
列席者は大きな感銘を受け、今後こういう会を毎年開くことを申し合わせました。
やがてこれを知った有名な百貨店の社長のジョン・ワナメーカーという人が、5月の第2日曜日に自分の店で盛大な「母の日記念会」を催しました。
この日の模様を新聞などが広く報道したため、各地に広がり、
日本では1923年(大正12年)に最初の「母の日」が祝われたと言われています。
そして今や、世界中どこででもこの「母の日」は祝われています。
もっとも、国によって「母の日」が行われる日にちは違っていますが。
そして今やこれは、一種の年中行事と化しており、特に日本では、これを機会にいろいろな品物を売ることに利用されていますが、この精神というものを本当に考えなければならないと思います。
「母の日」という特定の日が定められたのは、20世紀に入ってからですが、「両親を大切にする」という習慣は、世界中どこででも、また古い時代からありました。
例えば、古代ギリシアにおいては、偉大な立法家ソロンという人が次のように書いています。
「その両親が年老い、支持を必要としている時に、両親を支えないならば、彼は市民としての権利を喪失する。」
ギリシア人は、両親を尊敬することは、国家のすべての市民の基本的な義務の一つであると考えていました。
日本においても、特に儒教の教えから、親への孝行ということが重んじられてきました。
古代イスラエルにおいても、その最も古い法律である十戒の5番目の教えに「あなたの父と母を敬え」と言われています。
これは旧約聖書の出エジプト記20章に言われています。
古代イスラエルの人たちも、この戒めを守って、自分たちの両親を敬うことが重んじられていました。
しかしこういう習わしもその精神が失われて、しばしば形式的になります。
こういうことは、法律を定めたり、「母の日」というのを制定したり、「敬老の日」という祝日を作ればそれで済むというものではありません。
問題は、そういう形ではなく、心です。
古代イスラエルにおいても、イエス・キリストの時代「父と母とを敬え」という十戒の教えが、当時のユダヤの社会において形式的になっていたということが言われています。
先ほど読んだマタイによる福音書の15章にそのことが言われています。
当時のユダヤ人の社会でユダヤ教の指導者たちは、昔からの教えによく通じていた人たちです。
しかし彼らは、法律や習慣の余りにも細かなことに目を向けていたので、戒めの本質的なこと、根本精神を見失っていました。
「木を見て森を見ず」という諺がありますが、当時のユダヤ教の指導者たちはまさにそうでした。
イエスはしばしば、このようなユダヤ教の指導者たちとぶつかりました。
ある時、ユダヤ教の指導者たちが、イエスの所に来て、「あなたの弟子たちは、なぜ昔の人々の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の時に手を洗っていません」と言いました。
ユダヤ人は、食事を非常に大切にしました。
これは、単に食欲を満たすというよりも、一つの宗教的な行為でした。
その一つに人が食べてよい食物と食べてはならない食物が規定されていました。
この規定は、コーシェルと言って、今でも熱心なユダヤ教徒の間では厳格に守られています。
イスラム教の人たちのも同じような食事の規定があります。
例えば、豚肉は、ユダヤ教の人もイスラム教の人も食べてはいけないのです。
最近、特にインドネシアなどからイスラム教の人たちが日本に旅行に来ます。
その時に、ホテルなどで食事に困るということがあります。
それは、イスラム教で食べることを禁じられている食物を出すことができないからです。
そして、イスラム教で食べてもいい物をハラールと言いますが、最近ではハラールの認証を受けた食べ物を出すホテルが増えています。
大学でもインドネシアやサウジアラビアなどのイスラム圏から大勢の留学生が来ている所では、食堂でハラール認証の食事を用意している所も増えてきています。
とにかく、イエスの時代にもこのような食事の細かい規定があり、特に宗教指導者は、そのようなことに目を光らせていたのです。
さらに、食事の作法についても、いろいろ細かい規定がありました。
これは、最初はごく簡単なものでしたが、時代と共に非常に複雑なものとなっていきました。
そしてイエスの時代には、実に細々した規定があり、一般の庶民にはそれらを完全に守ることは不可能でした。
その一つに、手を洗うというものがあります。
食事の前に手を洗うのは当たり前ではないか、と思われるかも知れません。
しかし、この当時の手洗いは非常に複雑でした。
例えば、かける水の量が決められていたり、かける順番があったり、かける方法があったり、といったものです。
水をまず両手にかけ、次に指先を上に向けて指先から水をかけ、次に指先を下にしてかける、といったようなことです。
そして、厳格なユダヤ人は、これを食事の前にするだけでなく、食事の間も料理が変わる毎に行っていたというのです。
ですから、ユダヤ教の指導者たちといった特別これらの規定に通じた人以外は、厳密に守ることは不可能でした。
そしてこういう日常生活における細かな規定は、他にも非常に沢山あったのです。
そして、ユダヤ教の指導者たちは、これらの規定をよく知っており、それらを一つひとつ忠実に守っていたということで、非常に誇りがありました。
それと同時に、このような規定を守らない者を、軽蔑したのでした。
さてユダヤ教の指導者たちは、イエスの弟子たちがこのような細かな規定を守らないと言って、イエスを非難しに来たのでした。
しかしイエスは、これに対しては直接には答えていません。
ユダヤ教の指導者たちは、律法の非常に細かなことを重要にしていましたが、律法の本質を見失っているのだ、ということを指摘しました。
律法学者やファリサイ派の人たちにとって、宗教は、食前に正しい方法で手を洗うといった、一定の外面的な規則、規定、儀式を守ることでした。
一方イエスにとって、宗教とは、心の中にあるもの、そこから出される憐れみと親切、愛ということでした。
そこでイエスは、最も大いなる戒め、誰でもよく知っている戒めを引き合いに出します。
すなわち、十戒の5番目の教えの「あなたの父と母とを敬え」というものです。
これは十戒でも最も重要な戒めであるので、ユダヤ教の指導者たちに向かってことさら言うものではありません。
しかしイエスは、彼らがこの戒めを本当の意味で守っていなかったことを指摘したかったのです。
このように言いました。
それなのに、あなたたちは言っている。『父または母に向かって、「あなたに差し上げるべきものは、神への供え物にする」と言う者は、父を敬わなくてもよい』と。こうして、あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。
「供え物」は、コルバンという語ですが、これは、神に捧げられたもの、聖別されたもの、というものです。
例えば、ある人の父か母が貧しく、年を取って金に困り、息子の所に助けを求めに来た場合、その人が両親への援助を断る道があったのです。
それは、金や財産をすべて神殿に「供え物」にすることでした。
するとそれがコルバン、すなわち神に捧げられ、神のために聖別されたものとなり、両親には、「大変お気の毒ですが、何もあげられません。わたしの持物は全部、神のものになっています」ということができたのです。
そしてユダヤ教の指導者たちは、親に援助するよりは、神殿に捧げる方が価値があると奨励していたようです。
親を助けるよりも、自分の名誉心のためにお金を用いたのです。
こう言う心をイエスは非難されたのです。
イエスは、形式や外面的なことではなく、内面的なこと、心を大切にされました。
贈り物をするというとき、その品物よりもその気持ち、心が大切です。
たとえ安物であって、心がこもっていれば、うれしいものです。
わたしは、娘が幼稚園のときに父の日に造ってくれた粘土の鉛筆立てを今でも遣っています。
その娘は、もう結婚もして、子どももいますが、先日久しぶりに
家に里帰りしたときに、その鉛筆立てを見て、「まだこんなもの使っているの?」とびっくりしていましたが、わたしにとっては、娘が小さいときに心を込めて造ってくれた鉛筆立ては、今でも宝物です。
皆さんは、アメリカの作家オー・ヘンリーの短編小説「賢者の贈り物」というのをご存じでしょうか。
ある貧しい夫婦がいました。
それぞれクリスマスプレゼントに何を贈るかを考えました。
夫は、妻が美しい金髪の髪を持っていたので、それをとく櫛を贈りたいと思いましたが、お金がなかったので、自分の一番大切にしていた懐中時計を売って、その櫛を買いました。
一方妻は、夫は、懐中時計は持っているもののそれにつける鎖がなかったのでそれをプレゼントしたいと思いました。
しかし、お金がないので、自慢の金髪を売って、それで鎖を買いました。
そして、クリスマスの日、お互いプレゼントを交換しました。
妻は立派な櫛をプレゼントされましたが、肝心の金髪がなく、役に立ちません。
夫は、時計につける鎖をプレゼントされましたが、肝心の懐中時計がありません。
2人はがっかりしたかと言うとそうではなく、お互いの気持ちを思って喜んだ、と言うことです。
心をこめてプレゼントすれば、たとえ今役に立たないものであっても、嬉しいものです。
親を敬うということも、ややもすれば形式的になってしまいます。
イエスの教えたのは、そういう宗教の形式的な儀式や細かい規定を守るということではなく、神に接し、人に接する真心であり、愛でした。
そしてそれは、律法の根本精神でした。
何故「母を敬わなければならないのか」というのは、「・・・だから」という理由があって敬うというのでなく、そうすることが自然なのです。
母親が子供を愛するのは、理由がありません。
自分の子であるから愛するのです。
母は子どものことをいつも心配しています。
母がわが子を心配する時は、どんな時でしょうか。
わが子が病気になったり、怪我をした時、最も心配するでしょう。
あるいは、わが子が人にいじめられたり、また人とうまくいかずに孤独になったり、落ち込んだりした時もほんとうに心配するでしょう。
また、わが子が何か悪いことをした時、罪を犯した時なども、ほんとうに心配するでしょう。
この場合は、何とかして、その悪い道から離れるようにとお願いしたり、説得したり、また神に祈ったりするでしょう。
よく新聞で少年が例えば人を殺したとか、自分がいじめたために
相手が自殺したとか、盗みを働いたとかいう記事が載ります。
そういう時、私はいつも、その人の親はどんな気持ちであろうかと思います。
恐らく夜も寝られないでありましょう。
さっき歌った讃美歌で「主われを愛す」とありましたが、その主を母に変えて歌うと、母の愛が分かるでしょう。
そのようなその愛に答えて、子が母を敬うのは、自然な事です。
十戒には、「子供を愛せよ」という戒めはありません。
これは、そのような戒めを作らなくても、自然なこととして皆自分の子供は愛するからです。
最も、最近では自分の子どもに虐待して死なせてしまう親もいますが。
そういうニュースを聞くと、ほんとうに信じられない思いです。
しかし、「あなたの父母を敬え」とわざわざ法律に規定されているのは、そうでない現実が多くあったからでしょう。
否、歴史において、特に母がないがしろにされた時が多くあったのです。
旧約聖書にも、そのようなことが記されています。
社会が混乱した時、親を大切にするというよりも、皆自分のことに必死であった時代です。
この混乱期に、母親は、ことさらないがしろにされたのです。
いつでも変わらないのが母の愛です。
マタイによる福音書7章9-11節に次のようにあります
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
今は「母の日」は広く普及して、どこを歩いていても「母の日、お母さんありがとう」という文字が見えます。
しかし、それが形式的に終わらずに、最初に言った人アンナという人が自分の母親に心から感謝する気持ちで、母の好きであったカーネーションを会場いっぱいに飾った母に対する心を大切にしたいと思います。