5月11日(水)全校礼拝が行われました。
讃美歌 484 番( 1、2 番)
聖書 マタイによる福音書25章14-18節
メッセージ 「神の賜物」
学院宗教主事 樋口 進 牧師
同じ事態に直面してもそれをプラスに考える人とマイナスに考える人がいます。そして、プラスに考える方が、より豊かな人生を送れると思います。
先ほどお読みした聖書の箇所は、イエスが話された「タラントンのたとえ」という話の一部です。
タラントンというのは、当時のお金の単位で、最も大きな額でした。
そしてこれは、英語のTalentの語源になっていると言われています。
タレントは日本でもテレビなんかに出る人をタレントと言いますが、能力のある人のことを言います。
そして、このタラントンは、聖書においては、神によって与えられた賜物のことです。そして、この譬えでは、3人の人がそれぞれ5タラントン2タラントン1タラントンを預けられた、と言われていますが、私たちの能力は神によって預けられたものだ、と言うのが聖書の理解です。
ですからそれを、神のために用いるという課題が私たちには与えられているのです。そして、5タラントン、2タラントン、1タラントンというのは、与えられた能力には差があるというのでなく、それぞれにはそれぞれ違った能力が与えられている、と言うことではないかと思います。
それを能力の差と捉えるならば、多く与えられていると思う人は優越感を抱き傲慢になります。
また、少ししか与えられていないと思う人は、劣等感に陥り、せっかく与えられたタレントを見失ってしまいます。
それが、今日の譬えの1タラントンを預けられた人です。
1タラントンを預けられた人は、他の二人と比較して、自分には余りタレントが与えられていないと思い、それを活用せずに隠してしまった、と言うのです。
しかし、1タラントンというのは、実は莫大なものなのです。
1タラントンというのは、6000デナリオンに相当します。
1デナリオンは、1日の賃金に相当する額ですから、6000デナリオンというのは、6000日分の賃金になります。
すなわち1タラントンというのは16年分の賃金ですから、相当が額です。
これは、どんなに小さく見えるような能力でも、神からそれぞれに与えられているタラントは莫大なものである、ということが言われていると思います。
他の人と比較をするところからは、そのような積極的な行動は出てきません。そうではなく、神から自分に与えられている恵みに目を向けるのです。
ある場合は、これが恵みかと思われることもあるでしょう。
三浦綾子さんは、病気をも神から与えられた賜物と捉えました。
彼女の随筆は『この病をも賜物として』と言うのがあります。
病気などというものは、私たちは全くのマイナスのものだと思わないでしょうか。賜物だとは思わないでしょう。
病気などというものは、もう土の中に隠してしまいたいものです。
しかし、三浦綾子さんはそれをも神から与えられた賜物として受け取ったのです。これを書いた時、三浦さんは実にいろいろな病気に冒されていました。
癌もありましたし、パーキンソン病もありましたし、痛みを伴うものもあり、実に苦しかったのです。
ですから、自分で書くことが出来ず、自分は口述して、夫の光世さんが書いていたのです。
それも休み休みです。病気になるのはとても辛いことです。
しかし、病気になることによって、病気の人の苦しみや悩みが分かります。
三浦綾子さんは、そのような気持ちから、病気で苦しむ人を慰め、励ます文を書くことが出来ました。
そして、三浦さんの文章によって、励まされた人が大勢います。
私たちもそれぞれ、神から多くのタレントを与えられていると思います。
そしてそれは、それぞれに違うタレントが与えられているのです。
隠してしまわなければならないタレントはないのです。
たった3本の指にしても、三浦綾子さんのように病でさえも、神から与えられた賜物だと捉えるならば、それを土の中に隠してしまうのでなく、活用して、豊かな実りをもたらすことができるのです。
私たちに果たしてどのようなタラントが与えられているかを考えることも私たちの課題でしょうし、それを用いて、神のために、人のためにどのように用いていくかも私たちの課題だと思います。