5月9日(火)、放送礼拝が実施されました。
本校では、様々な形式をとった礼拝を、毎日守っています。
放送礼拝はそのうちの一つで、各教室にて放送で讃美歌を歌ったり、メッセージを聞いたりします。
静かに、聖書の言葉に耳を傾けます。 夙川学院オリジナルの聖書讃美歌バッグです。
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ローマの信徒への手紙8章28-30節 「万事が益となる」
学院宗教主事 樋口進
人生には、自分の計画通りでないこともあります。
そのようなとき、自分の目指していたことは違うと言って、受け入れたくないと思うかも知れません。
しかし、自分の思っていない事態になってもそれを受け入れるならば、そこから新しい道が開けてくることがあります。
大事なことは、与えられたものを受け入れると言うことです。
人生には、自分の意志でないのに受け入れなければならないことがあります。
それは、自分が生まれてきたことです。
私たちは、自分の意志で生まれてきたのではありません。
芥川龍之介の小説に『かっぱ』というのがありますが、そこでカッパは生まれるときにお腹の中で、お前は生まれたいか、と聞かれると言うことがいわれています。今の世の中は、暮らしにくく、嫌だと思えば、「生まれたくない」と言うことができるというのです。
しかし、人間の現実にはそんなことはありません。
私たちは、自分の意志とは関係なく、この時代に、日本に、それぞれの両親の元に生まれてきたのです。
これは、受け入れるしかないのです。
こんな時代に生まれたくなかったと言っても、どうしようもありません。
しかし、このようにして生まれてきたことを、神によって与えられたものとして、受け入れるのです。
私たちは、自分で決められることももちろんありますし、決めなければならない場合もあります。
しかし、自分で決められないこともあります。あるいは、自分の望んでいない事態になることもあります。
皆さんの中には、夙川学院に入ることを望んでいなかった人もいるかもしれません。
そのようなとき、たとえ自分の望んでいなかったことでも、受け入れるということが大切なことです。
そして、それが神から与えられたものだと受け入れるならば、自分の望んでいないことでも神が良き方向に導いてくださるのです。
先ほど読んだ聖書のローマの信徒への手紙8章28節に、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」とありました。
ここでは、神は万事を益としてくださる、と言われています。
ローマの信徒への手紙は、パウロという人が書いた手紙ですが、これはパウロの実際の経験から出た言葉です。
パウロは、初期のキリスト教の伝道者でした。彼は実に多くの地方に伝道し、キリスト教を広く伝えました。
パウロのお陰でキリスト教が世界の宗教になった、と言っても過言ではありません。
彼は、綿密に計画を立てて伝道したのですが、しかし計画通りに行かなかった場合も多くありました。
ある時は、北の方に行く計画をしていたのですが、何かの差し障りが起きてそちらに行くことができずに、逆の方に行かざるを得ないこともありました。そして、最初の計画を諦めて、別の方向も神によって与えられたものと受け入れて、そちらに行くと、そちらで思わない成果が得られたと言うこともありました。この「万事を益としてくださる神」ということは、そのようなパウロの実際の体験から出た言葉なのです。
私たちは、時には、とても辛いこと、苦しいことが与えられることもあります。
そのようなときも、そんなのは厭だ、と言って受け入れたくないかもしれません。
しかし、それを受け入れるならば、神が万事を益としてくださるのです。
パウロは、神は万事を益としてくださる、と言いました。
自分の考えていたことと違う事態になっても、その事態を受け入れ、それを神に与えられたものと受け止めるときに、神は万事を益としてくださるのです。パウロは、そのことを実際に何度も体験しました。
私たちの人生に於いても、私たちの計画通りに行かないこともあると思いますが、そのことも神によって与えられたものだと受けいれるならば、神は万事を益として下さることを覚えたいと思います。