フィリピの信徒への手紙2:1-4節 「思いやり」
学院宗教主事 樋口進
今日は、「思いやり」と言うことについて考えてみましょう。
この思いやりというのは、聖書の精神でもあります。
今お読みいただいたフィリピの信徒への手紙2章3-4節に、「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」とありました。
「自分のことだけでなく、他人のことにも注意をする」、これは思いやりの精神と言うことができます。
これはとても大切なことであると思います。「思いやり」というのを『広辞苑』で調べてみると、「自分の身に比べて、人の身について思うこと」とあります。別の言葉で言うと、「その人の立場に立って思う」ということです。
イエスの有名な言葉に、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい。」というのがあります(マタイ7:12)。
これは最も大切な教えだということで「黄金律」と言われています。
「その人の立場に立って思う」ということはとても大切なことですが、それが中々出来ないというのもまた人間の悲しい現実です。これが出来れば、世の中は幸せになると思います。
今の日本は、このような「思いやり」の心に欠けているのではないでしょうか。
そのために心を痛めるような悲しい事件が、次から次へと起こっています。
人間はしばしば言葉に傷つきます。
人から言われた厭な言葉に落ち込むこともよくあります。
それがひどい場合には、自殺にも追い込まれます。
最近では、ツイッターなどインターネット上の書き込みで、個人を非難中傷したりと言うことがよくあります。
そして、そういうことを書かれた人は非常に苦しみます。
書く方は、軽い気持ちで書くのかもしれませんが、書かれた方は本当に死ぬ位つらい気持ちになります。実に思いやりの精神に欠けた行為だと思います。
こういうとき、思いやりの精神をもつことができれば、つまり、もし自分がこのようなことを書かれたら、と相手に気持ちに立つことができれば、こういうことは起こらないと思います。
旧約聖書の箴言12章18節に、「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。」という言葉があります。
人に対する一言の言葉がひどく傷つけることもあります。また逆に一言の言葉が人を癒すこともあります。
精神科医で執筆活動もされている斉藤茂太という人の本に『いい言葉は、いい人生をつくる』というのがあります。
相手に対していい言葉をかけるなら、それはその人の人生もいいものにするということが書かれています。
人の立場に立って、「思いやり」のある生き方をしたいものです。
今日の聖書の言葉にあるように、私たちも「自分のことだけでなく、他人のこともよく考える」思いやりの精神をもちたいと思います。