ご入学おめでとうございます。入学式にあたり、一言お話をしたいと思います。
中学生になって、高校生になって、6年経って夙川を卒業する。この6年間のどこかの日に、君たちは第2の誕生日を迎えると思います。その第2の誕生日とは何か。人生に誕生日が4つあると言われていて、それが試験に出たとしたら、第1の誕生日は生まれた時と答えると思う。第4の誕生日は死ぬ時と答えると思う。その2番目と3番目の誕生日は何か。2番目は結婚した時、3番目は子供ができた時というふうに答える人がたくさんいると思いますけれども、僕は2つ目の誕生日は結婚した時と子供ができた日ではなくて、諸君ら一人一人が自分に目覚めた日だと思う。
自分に目覚めるとはどういうことか。僕はどうして生まれてきたのか、僕は何者なのか。そういうふうに思う時が中学時代、高校時代のどこかのその日に来る。「そうか」と。人が生まれ持ってきた使命、社会における役割、その人が自己実現を通して担っていかなければいけない責任、そういったものを感じた時に、諸君らは2回目の誕生日を迎えるということです。
そういうことを考えると、3回目の誕生日は何なのか。私は3回目の誕生日は、神のことに気が付く時だと思います。須磨学園は宗教的中立、政治的中立、つまり宗教と政治は問わないという教育をやってきましたし、これからもそれは変わらないと思います。では宗教ではない神とは何なのか。これは物理の法則、科学の法則、生物の法則、地理の法則、地学の法則、天文の法則、社会のルール。そういった世の中で、今まで何百年も何千年も当たり前と思われてきた、我々の人間が作り出してきた、人間が関与していなくても、そこに存在している法則の全部の総合的なもの、それが言葉を言い換えるならば、絶対的なルールとしての神様のことではないかと思うんですね。
どんなに頑張ってもどうしようもないことがあります。地震を止めることができるか?地震を止めることはできない。隕石の衝突を止めることができるか?それもできない。そういうことに気が付いて、決して人生を、決して世の中をあきらめることなく、そういうものがあるんだということに納得をした時、私はそれを言い換えると神の存在に気が付いたということになるのではないかと思っています。
それがいつやってくるのか。おそらくそれは、大学時代、社会に出て社会人として活躍していく中で、そういう時が来るんじゃないかと。そうしたら、その4回目の誕生日、今から何十年も先のことだと思いますけれども、それで一生を過ごすということになるのではないかと。
ということで、この来るべき6年間のどこかの日に、自分に気が付く日が来る。その日のことを楽しみに夙川に通ってきてほしい。「先生、僕は自分に目覚めた。」目覚めたら言ってきてほしい。その日のことを心待ちにしながら、私の挨拶とします。
2024年4月6日 学園長 西 和彦