全校礼拝が行われました

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本日全校礼拝が行われました。
20160120

聖書      マルコによる福音書10章43-45
メッセージ  「 仕える者になる 」                 樋口 進 牧師

今日お読みしたマルコによる福音書10章45節には、「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるためにきたのである。」とありました。その前のところでは、ヤコブとヨハネという弟子がイエスが権力の座についた暁には、自分たちを一番上の位に就けてほしいと頼んだという記事がありました。そして、他の弟子たちは、そのことを聞いて起こった、とあります。それは、自分たちも上の位に就きたいと思っていたからです。

イエスの周りには、大勢の人が集まってきたので、弟子たちは、イエスはやがて権力の座につく、と期待したのです。そしてその時は、自分たちが一番上の地位に就きたいと思ったのです。

人間誰しも、人の上に立ちたいと思います。これに対してイエスは、

「しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたいものは、皆に仕えるものになり、いちばん上になりたいものは、すべての人の僕になりなさい。」

と言われました。これは、一般の人々の求めとは反対のことです。

皆さんはどうでしょうか。人に仕えたいでしょうか、人に仕えてもらいたいでしょうか。イエスは、仕えられるのでなく、仕える者になりなさい、と言われました。これは、難しいことかも知れません。しかしイエスは、そのことを実行されました。すなわち、イエスは弟子たちの足を洗われたのでした。足を洗うと言うことは、当時は、僕のすることだったのです。先生であるイエスが僕となって、弟子たちの足を洗われたのです。それは、弟子たちにも、仕えられるのでなく、仕えることを教えるためでした。そして、最後は、私たち人間の僕となって、十字架にかかられたのです。

イエスは、仕えることの大切さを教えられました。これは、奉仕の精神として、多くの人に影響を与えています。わたしたちは、何事かをなす時に、ただ自分のため、自分の利益のためだけにするのでなく、人々のため、人々の利益になるようになすことが大切です。これは、まさに、奉仕の精神です。この仕えるというのは、聖書では、神に仕え人に仕えると教えています。奉仕はまた、「礼拝」という意味でもあります。serviceという英語は、「仕える」という意味と、礼拝という意味があります。夙川学院では、礼拝の時間が設けられ、これは神に仕えるということです。神に仕えるということは、人に仕えることでもあります。

わたしたちは、礼拝を通して、神に仕え、また人に仕えることの大切さを学びたいと思います。